「東京の空には朝から雨が..」が、3年くらい前の僕にとっての東京、特に下北のイメージを作り上げていた大きな要素の一つだったことを強烈に覚えてる。曽我部さんの1stアルバム。
無数の朝が東京で始まっていく歌い出しに、東京にいることの果てしない寂しさを感じてた。00年代という、違和感がそこら中に敷き詰められている、穏やかなカオスの中に産み落とされた、解像度の低いモニターに映る、確かな何か。僕ら聴き手に対してこれ以上ないくらい親密であるにも関わらず、決して僕らが入っていくことのできない領域さえもちゃんと閉じ込めた曲。日常は日常でしかないことを確かめるような曲。そこにはカネコアヤノもいたし、小沢健二もいたし、折坂悠太も、細野晴臣の呼吸も感じた。都会的であることがどういうことか、しっかりと履き違えていたし、同時にその意味をわかりつつもあった僕の2021年の一曲は、もしかしたらこれなのかもしれない。
今回僕のバンドが青山の月見ル君想フで自主企画を開催できたのは、単に巡り合わせという他ないのだけど、とにかく素晴らしい夜だった。全部の曲が、今日のために用意されていたのかもしれないと勘違いしそうなくらい、外の世界の何も気にせずマイクに向かって歌っていた気がする。演奏の細かいミスや直前のゴタゴタも、ステージではあまり関係がなかった。
終演後、たくさんの人がフロアに残って話を続けていたのが印象的で、いいイベントだったということの証明なのかもしれないねとハールンさんが言っていたのを、なるほど確かにイマイチなものみせられたあとそこに留まりたいわけないのだからその通りなのかもなぁと思って聞いてた。一歩ずつ自信がついてきてると思う。いつも観にきてくれる皆さんに本当に感謝しかないし、共演の皆さん全員とまた必ずご一緒したい。
帰りの青山の道はめちゃくちゃ暗い。少し古びていて洒落た窓枠と外観、手すりの鉄は錆びていて、それがむしろ価値になっているようなアパート。その一階部分はスキーショップとアパレル。そこに住んでいた人の生活を想像してはPOPEYEの「シティボーイの日常特集」みたいなものしか浮かんでこないような、そういう感じ。ブギーバック・マンションも僕にとっては似たような存在かも。ああ、東京って感じ。”ちょっとわかってきたみたい”
その数日後には下北沢Spreadでハールンさんのライブのサポート。共演のモンゴルの楽団と一緒に下北の地下で輪になって踊るという、あまりに都会的な経験をしたし、Hugenのスピリチュアルともいえる圧倒的なパフォーマンスには度肝を抜かれた。満員電車的なものをぶち破るような深い深いリヴァーブのコントロールとパーカッシブな、民族的なビート。森の中で篝火を囲んで開催されたフェスティバルのような夜。
アンビエントにせよなんにせよ、都会的なものというのが逆説的に、局地的で民族的な何かを引用するものであるということに気づいたのも2021年以降な気がする。平日の下北の夜にちゃんと居るのだな、と思えた日だった。”ちょっとわかってきたみたい”
さらにその数日後、橋本徹さんのApre-midiでバートバカラックメモリアルナイトDJイベントが開催されていたのでバイト終わりに行った。バカラックのロマンチックな名曲群で盛り上がる大人たち。橋本さんのかけるピチカートファイヴ『カップルズ』の意味は当時に擦りもしなかった僕にだってよくわかるし、この人たちがいたから僕のところまでThe Cyrkleみたいなソフトロックがたどり着いたのだな、受け渡されてきたのだなと再確認するような、そんな夜。一緒に行ったのは、最近仲良くしてくれているとあるギタリスト・ボーカリストの方と、バンドメンバーと、フォーク/トラッドが専門の同世代のDJ。Close to youを今日何回聴いたかわからないですね、と話しながら駅へ向かう公園通り。そう、公園通り。
ココナッツの新曲「ひとりを知ってる僕らのために」は、僕にとってそういう今の繋がりや、時代や空間を超えた繋がりをずっと続けていくために、その辺の空に向かって放った独り言のようなものです。本当の悲しみのことなんか僕自身何も知らないというのは僕だって解っているけど、音楽や言葉はそれ自体が、聴き手がもしそこにいるなら、何十倍も多層的な意味をもち、僕自身とその聴き手にとって大切な何かになり得るということは、この2年くらいでちょっとわかってきました。
ケイチ