「明け方のブルース」あとがき
普段過ごしていて「うわっ」となる瞬間のことをなんとかして記憶しておくために、僕は歌詞というものがあるのではないかと思います。それは自分が歌詞を書く理由そのものでもあるし、自分ではない誰かが書いた歌詞の、”確かに自分がそこにいた”と思えるような、魔法と呼ぶしかないような一節を聴いている瞬間にも強く感じる。デジャブのように記憶が蘇ってくる。景色が、匂いを伴って蘇ってくる。
「明け方のブルース」は、子ども時代の無限性=イマジネーションを担保してもらえる環境についての曲です。僕の実家にあったあらゆるもの。僕にとっての個人的な記憶。埃被った本棚、並んでいるゴジラのフィギュアたち、部屋に貼ってある月の地図、祖父母の足音、とんでもなく長かった一日という時間の単位、ダレンシャン、晩御飯前の玉ねぎが水に浸かっている香り、など。あと、ちょっとした人間関係、学校のこと、など。
ここに並べた名詞は僕個人のものだけど、もしこの曲がうまくいっているのならば、これらは聴いてくれた人自身の記憶にすり替わっているはずです。『毎日のせいで涙を流す暇もないだけです』と大声で歌いたくなる「毎日」の中で、時々そういう、もう掴むことすらできなくなりそうな、幼いころの匂いを一瞬、ほんの一瞬だけ感じ、それをなんとかして繋ぎ止めようとして、するりと指の先から溢れていく。この強烈なもどかしさを、誰しも時々感じるはず。
寒い2月、朝早く目が覚め、起き出してこたつをつけ、ぼーっと窓の外を見て、指の先から溢れていってもうほぼ完全に失われてしまったもののことを考え、「トムは真夜中の庭で」を強烈に読み返したくなるような、そういう瞬間のことを思い出しながら、この曲の作りました。
真冬の曲だけど、バタバタしてたら真夏になってました。熱帯夜の部屋で食べるアイス的な感じでゆるく聴いてもらえたら良いなと思います。
ケイチ